サオワニー先生
サオワニー先生 1990年~1992年の元奨学生
私たちは、偶然ダルニー奨学金のコンケン県の奨学生(1990年~1992年)だったサオワニー・サーンノークさんに会う機会がありました。彼女は、今トンブリ地域にあるセンアルン学校で数学の先生をしています。
 
2012年6月27日にサーラウィタヤー学校のバーンケーンキャンパスで行われたEDF財団の奨学金授与式に、彼女は学校長から奨学生となる生徒の引率を任されて来ました。彼女が22年前にもらった奨学金が、EDFのダルニー奨学金だったかどうかは、はっきり覚えていませんでしたが、言葉にできないものの何か親しみを感じたそうです。そして、彼女に教育を受ける機会を与えてくれた奨学金支援者に、感謝の言葉を伝えるためにもう一度会いたいと思いました。それで、彼女は思い切ってEDFのスタッフに尋ねに来たのです。しかし、彼女の支援者は10年以上も前に亡くなっていました。そのことを知って、彼女は悲しみのあまり、あふれる涙を抑えることができませんでした。

今日は、EDFのスタッフがその日彼女と話し合ったことから、興味深かった話を皆様にお知らせしたいと思います。
 
EDF:今の仕事などの状況について話してください。
サオワニ-さん:現在35歳になりました。2000年にスアンスナンタ・ラチャパット大学を卒業して、すぐセンアルン学校の数学の教師として就職しました。12年前のことです。今は、本校の数学班の責任者としての仕事もしています。
 
EDF:中学生時代は、どんなでしたか。
サオワニ-さん:出身はコンケン県ノン・ソン・ホン郡です。私が中学生の時は、家庭はかなり大変で苦労していました。家族は6人いました。私と祖母、父、母、妹それに弟です。でも、基本的な収入は、父1人が縫い物や畑仕事などで雇われて、母がそれを手伝って得たものだけでした。とはいえ、どんなに貧しくても温かい家庭でした。両親はとても勤勉な人でした。ノン・ソン・ホンウィタヤー学校は、それなりに生徒がたくさんいる学校でしたが、私が学んでいる時に、中学生は3.5以上、高校生は3.0以上の評点の生徒に対し授業料を免除するという規則がありました。家庭の収入が少なかったので、私はその規則を適用してもらえるように一生懸命勉強しました。そして中学1年生から高校3年生まで、家族が毎年授業料を払う負担を軽くすることができました。制服は、父が縫ってくれました。それから教科書・教材代やほかの費用は、EDFからいただいた奨学金で支払いました。足りない場合は、いくらであっても、自分で工面しなければなりませんでした。登校する前や下校後、あるいは週末に本屋でアルバイトをしましたが、時には、雇われて家の掃除やアイロンかけなどもしました。あらゆる雇われ仕事を時間がある限りしたと言えるでしょう。一日が48時間あったらいいのにと思ったものでした。何度も疲れ切ってしまいましたが、頑張らなければなりませんでした。両親や家族がかわいそうだったからです。
 
EDF:EDFから中学生の時に奨学金をもらった時は、どんな気持ちでしたか。
サオワニ-さん:あの時は、とてもうれしかったです。人によっては、奨学金の金額は大して多くないと思うかもしれませんが、私の家族のように貧しくて選択の余地がない家庭にとっては、この奨学金は、とても価値のあるものです。それから、私は誇りに思いましたし、私の学業のために両親にかけている負担を減らすことができて、うれしくも思いました。
 
EDF:奨学生だった頃、奨学金支援者とは会ったり、手紙のやりとりをしたりしましたか。
サオワニ-さん:私が中学2年生の時に、支援者の方は1度学校へ会いに来てくれたことがありました。その時は、とても緊張しましたが、うれしかったことを覚えています。何をお話ししたらいいか会話の原稿を書いたほどでしたが、当日になったら、緊張してすべて忘れてしまいました。その方は、とても良い方で思いやりの気持ちをお持ちでした。今でもまだ、私を気にかけてくださったその方のまなざしを覚えています。その後、私は時々お手紙を書きました。その方からは、お返事の手紙と一緒にプレゼントをよく送ってくださいました。私はうれしくて、送っていただいたプレゼントは大事にしまってあります。古びてしまったり、汚したりしたくないので、とても使う気になりません。時々葉書きや家族の写真を送ってくださったこともありました。



1990年にダルニー奨学金をいただいたサオワニーとノン・ソン・ホンウィタヤー学校の学生たち
 
EDF:大学で学んでいた時は、どんな生活だったか話してもらえますか。
サオワニ-さん:高校を卒業する時、私は推薦入学の資格を公立の大学の何か所からかもらうことができました。しかし、どの大学も授業料がかなり高いことは、父が勉強を続けることを応援してくれているとしても、大問題でした。私は、家族からの仕送りを受けることは無理だと思い、結局全部の権利を放棄することに決めました。そしてバンコクへ行き、改めてスアンスナンタ・ラチャパット大学を受けました。というのは、子どもの時から、先生になりたいという夢を持っていたからです。父がそれを知った時、とても怒りました。大学から試験の合格通知を郵便で家に送ってきた時も、父は私に知らせようとしませんでした。母がこっそり教えてくれて初めてわかったような状態でした。それで私は、バンコクへ来て勉強することに決めました。
最初の2~3ヶ月は、本当に大変でした。家からの仕送りは、1ヶ月2,000バーツでしたが、寮費が1,000バーツで、残りのお金ですべてを賄わなければなりませんでした。でも、どんなに暗い道でも、光があるものですね。勉強を始めてから2~3ヶ月が経ったころ、私が家庭教師として数学を教えられるよう、先生が生徒を連れて来てくれました。その時の家庭教師料は、1時間当たり150バーツでした。私は本当にうれしかったです。1日に2時間教えましたし、それ以外に土曜日と日曜日も教えました。ということは、収入は充分なだけあったということです。そこで、私は、もう仕送りの必要がなく、これからは逆に私が毎月お金を送ることを両親に伝えました。つまり、大学を卒業できたということは、自分で学費を稼いだということです。
今日、こうして思い起こしてみると、自分でも不思議な感じがします。田舎の貧しい一人の子どもがここで何をしているのだろうか、どうしてこんなところまで来られたのだろうかと。実際のところ、私は特別優秀というわけではありません。ただ、常に親切な人たちにチャンスを与えてもらえたという、とても幸運な人間だと思います。チャンスというのは、本当に大切ですね。あの日、チャンスを与えてもらえなかったら、多分今ここにいることはできないでしょう。
生徒が何か誤りを犯した時に、私はいつも生徒に誤りをやり直す機会が欲しくないかとたずねます。大きな誤りであっても小さな間違いであっても、生徒にチャンスを与えることにしています。私がかつて今日あることができるようなチャンスをもらえたと同じように、です。今は、ほかの人に機会を与える人間になりたいと思っています。

 
EDF:どうして、教師になろうと思ったのですか。
サオワニ-さん:教師になろうと思ったのは、子どもの時から決めたことでした。私が今日あるのは、先生が子どもの時から、機会を与えてくれて来たからです。私は、ずっと良い先生ばかりにめぐり会えて、本当に運が良かったと思います。小学4年生の時でした。その時の私たちの算数の先生はとてもやさしくて、授業が終わった後、お金を取ることもなく毎日特別に補習をしてくれました。そして、私をいつも算数の競技会に連れて行ってくれました。だから、私はその時から今までずっと数学が好きなのです。それから、いつかその先生のように良い先生になりたいと夢を持つようになりました。私が先生になろうと決心したのは、意欲があったのと子どものころからの夢だったからと言えると思います。
 
EDF:12年間教師として働いてきて、どうですか。
サオワニ-さん:教師という職業は、本当に疲れます。でも、私が何かを作り出すことができ、それが成功して成果をあげた時、誇りに思う気持ちで疲れが吹き飛びます。12年間教えて来て、私が心配している問題は一つです。つまり、最近の子どもたちは、私の時とは全然違います。ほとんど一生懸命には勉強しません。でも、実は彼らはとてもかわいそうです。なぜなら、子どもたちが生まれたこの時代は、よくない道に彼らを引っ張り込む刺激的なものが満ち溢れている時代だからです。だから、教師も彼らにアドバイスをしたり、手を差し伸べたりするために、付いて行かなければなりません。

 
バンコクでセンアルン学校の数学班の責任者としての仕事
 
EDF:ご自分が今こうしてあるのは、どうしてだと思いますか。
サオワニ-さん:私のように機会の乏しい子どもがここに至ることができたのには、いろいろな要因があると思います。一番重要な要因は、両親です。私は両親をとても愛しています。私は両親がとても苦労をしているのを見ていましたから、いつか両親に楽をさせたい、そのために生活をもっと良くしたいと思いました。それで私は頑張ることができたのだと思います。私たちは誰もが親孝行の気持ちを持っていますが、それは、一方でいろいろな良くないことから逃れられるよう私たちを守る鎧のようなものではないでしょうか。二つ目に重要な要因は、チャンスを逃さないことです。能力があり、努力もして、どんなに我慢しても、チャンスや支援がなければ、成功することは難しいと思います。時々私もどうしてこんなに困難な人生なのだろうと思いましたし、疲れ果てたり、挫けたりしたこともありました。私は希望を失いかけたことが何度もありました。でも、信じ難いでしょうが、そういう時誰かがいつも救いの手を差し伸べてくれたのです。今まで全く知らなかった人もいました。私は、問題にぶつかった時にチャンスを与えてもらって、本当に運がよかったと思います。三つ目に重要な要因は、決意です。さきほどお話ししたように、私は先生をとても敬愛しています。それで、初めから教師になろうと心に決めていたのです。それが、ずっと私に機会を与えて続けてくださった先生に対する恩返しになると思ったのです。
 
EDF:EDFの支援者の方や奨学生に何か伝えたいことがありますか。
サオワニ-さん:私がEDFの支援者の皆様に申し上げたいことは、皆様の思いやりは、機会に恵まれないたくさんの子どもたちの世界を変える大きな手助けになっているということです。私は、この機会に奨学金の寄付をくださった皆様に心から感謝を申し上げます。私は、私がいただいたように子どもたちにチャンスを与えるとともに、励ましていくことを約束します。私は、彼らを社会の良き一員として育てるよう努力し、私たちの社会が発展するよう協力していきたいと思います。この奨学金をもらった奨学生たちには、どうかこの良い機会を実りあるよう大事にして、できる限り一生懸命勉強してほしいと思います。自分の価値を見い出し、ほかの人よりも劣って生まれたとは考えないでほしいと思います。私は、私たちも運がいいと思います。なぜなら、このように生まれて来たために、強い人間になり、障害があっても頑張れるようになりました。生まれた時から免疫があると言えるでしょう。善いことだけを考えていれば、善い行いだけをするようになり、そして善い人間になれるでしょう。
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