【こんな子どもたちがそれぞれの夢を叶えるために皆様の温かいご支援をお願いします】
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カモンチャノックさん(12歳)サコンナコーン県、2025年度中学支援の応募者
私は生まれる前に母と別れた実の父に会ったことはありません。母は再婚し、今は母、義理の父、そして弟と暮らしています。両親は一生懸命働かなければならないので、私は毎日家事を手伝い、弟の世話をしています。母は仕立て屋で、義理の父はゴム採取者です。彼らの収入は不安定で、月によっては十分なお金がありません。母が苦労していることを知っているので、私は彼女の負担を軽減するために最善を尽くしています。私は学校へ行くのに1日20バーツ(90円)を受け取ります。毎日10バーツ(45円)だけ使い、余った分を貯金し、出来るだけ毎日得たお金を節約しようと努めています。必要な日常製品を買ったりするためからです。
私の日常生活ですが、毎朝、早く起きて家を掃き、家事の手伝いをし終わったら通学します。毎日学校まで歩いていますので 交通費は使いません。学校では、いつも教室を掃除し、校内の落ち葉を掃いています。自由時間には、絵を描くことが大好きです。
私の夢は医者になることです。なぜなら、病気の人々を助け、困っている人々の世話をしたいからです。もしこの奨学金をいただけたら学用品、制服、その他の必需品を買うために使います。大学の学位を取得できるように、教育のために貯蓄します。
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キンカンさん(12歳)コンケーン県、2025年度中学支援の応募者
私は、慢性疾患を抱え、もはや働くことができない高齢の祖父母と暮らしています。私たちの家族は、日々のニーズを賄うのに十分とは言えない母の収入に頼っています。父は時々お金を送ってくれますが、安定しないため、私は支出に非常に気をつけ、できる限り貯蓄するようにしています。
週末には、服をたたむなどの小さな仕事をして、1日120バーツを稼ぎ、家族の負担を軽減する手助けをしています。授業が終わると自転車で家に帰り、祖父母を支えるために家事をし、授業の復習ができるからきちんと宿題をしています。
私の夢は看護師になることです。そうすれば、祖父母、母、そして愛する人たちが病気になった時に世話をすることができます。彼らの負担を軽減し、私を誇りに思ってもらえるようにしたいのです
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チャーンナロンさん(12歳)スリン県、2025年度中学支援の応募者
私の家族は7人です。祖父、祖母、父、母、二人の兄、そして私です。私たちは、毎月1,400バーツ(約6,300円)の家賃の狭い一部屋に住んでいます。この家賃は、ほとんど収入のない私達家族には大変大きな負担となっています。
困難に満ちた家庭
• 祖父と祖母は62歳で、毎月それぞれ600バーツ(約2,700円)しか政府から支給されていません。二人は田舎に住んでおり、祖父は重い腸の病気を患っており、手術が必要です。祖母は祖父の世話で働くことが出来ません。
• 父は以前、電気配線作業員として働いていましたが、今は骨にまで広がってしまって進行した結核により、完全に働けなくなりました。ほとんど歩けず、常に介護や治療が必要です。
• 母は小さな食堂とコーヒー店でウェイトレスとして働いており、1日266バーツ(約1,200円)しか稼げません。彼女は家族全員を支える唯一の存在です。
• 長男は必要な費用を支払えなかったため、中学卒業後、進学することができませんでした。現在は日雇い労働者として働いています。
• 二男は現在、高校2年生です。
• 私は小学校6年生で、どうしても中学校に進学したいと考えています。
私は長男のように学校をやめたくないです。少なくとも中学校を卒業し、専門学校に進学したいと考えています。それが、私が仕事を見つけ、できるだけ早く家族を助けるための最も良い道だと信じているからです。私たちの家族は困難な状況にあります。母は唯一の働き手で、私と兄の教育関係費の負担が重くのしかかっています。奨学金をもらえれば、母の負担を軽減することができますし、勉強を続ける夢を叶えることが出来ると思います。どうか私の将来と家族の生活を変える「教育の機会」のご提供をご検討戴きますよう心からお願いします。
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ティティナンさん(13歳)、チャイヤプーム県、2025年度中学支援の応募者
私の家族は6人で、父、母、祖父、祖母、弟、そして私です。私は祖父母と暮らしています。私の母は現在失業中で、父は日雇い労働者として働き、1日に100〜200バーツしか稼いでいません。
祖父母は月に600バーツの高齢者手当を受け取っています。毎日、掃除、皿洗いなどの家事も手伝っています。毎朝、祖父母は早く起きて日雇いとして農場や田んぼで働き、水道光熱費などの生活費を賄うために1日あたり100〜200バーツを稼いでいます。また、私が家で祖母の野菜、花、薬草の植え付けと水やりも手伝っています。摘んだ野菜を市場で1束5バーツで売っています。
私が学校に行くとき、1日あたり20バーツを受け取りますが、10バーツだけ使い、残りは貯金します。友達と一緒に自転車で学校に行きます。夕方には、祖父の野菜摘みと市場への配達を手伝います。
私は勉強が大好きです。特に英語、タイ語、数学が好きで、特にタイ語が得意です。私の夢は、いつか自分の小さなカフェを開くことです。もしこの奨学金をいただけたら、勉強に必要な教材や文房具などを買います。私の話をご検討いただき、私の夢を応援していただき、誠にありがとうございます。
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ティティマーさん(12歳)ナコーンラーチャシーマー県、2025年度中学支援の応募者
私は両親と暮らしています。両親は一般労働者として働いており、収入は多くありません。しかし、私は学業に力を注ぐ意志を強く持っています。科学とタイ語を学ぶのが好きですが、英語と数学は難しいと感じています。将来の教育のために、よく勉強したり、分からない点があったら先生に聞いたりして自分の能力向上に常に努めています。
高校卒業後、政治家を目指して政治学の学位を取得したいと思っています。私の政治への関心は、10歳の頃から始まりました。ある女性政治家たちに感激したからです。また、最近はじめて参加したタイ芸術・文化コンテストに詩を作って2位になりました。とてもうれしく思いました。
両親には多くの借金があり、両親がそれほど一生懸命働かなくても済むように、負担を軽減したいので、この奨学金をいただければと思っています。私は高いレベルまで教育を続け、良い仕事に就きたいと願っています。この奨学金をいただければ、より多くの教育機会が得られ、家族の経済的負担をいくらか軽減することができます。
もし私が夢を叶えることができれば、家族の生活状況が改善し、この機会から得た知識を将来社会のために役立てたいと思っています。どうもありがとうございます!

ニチャーナンさん(12歳)サコンナコーン県、2025年度中学支援の応募者
両親が別の県で遠く離れて働かなければならなかったので、私は幼い頃から叔母と祖母と暮らしています。両親とは一緒に暮らしていなくても、叔母と祖母がとても大切にしてくれるので、愛情不足を感じたことはありません。私は彼女たちをとても愛しており、両親も心から愛しています。
叔母は学校のお小遣いとして1日20バーツをくれています。帰宅後は 家の掃除、食器洗いと牛の世話などいろいろ祖母と叔母の家事を手伝って日々生活しています。
私はスポーツが大好きで、家族や学校に喜んでもらいたいですので、将来国代表のバレーボール選手になることを夢見ています。
学校では、私の好きな科目はタイ語で、また他の人を助けるのが好きなのでボランティア活動を楽しんでいます。もしこの奨学金をいただけたら、学用品、制服、靴を買うために使います。より良い未来のために一生懸命勉強し、高等教育を受けます。バレーボール選手になる夢を実現するために努力をします。私の家族は経済的に苦労していますが、夢を達成するために一生懸命努力し、決意を持ち続けます。
パウィーナーさん(12歳)、サコンナコーン県、2025年度中学支援の応募者
私は両親とは私がとても幼い頃に別れたため、祖父母と暮らしています。私が祖母と住んでいる家は、崩れかけている古い木造の家です。幼稚園の頃から、祖父母は大変な努力をして私を育ててくれました。残念ながら、私が小学1年生の時に祖父を亡くしました。祖母は私の教育を支援するために野菜を栽培して販売し、母は私が小学4年生になるまで私を養うために雑用をしていました。その後、私は祖母の家に引っ越し、それ以来ずっと祖母と暮らしています。
毎日、私は祖母の家事を手伝っています。朝早く起きて、祖母が販売する商品の準備や鶏の世話を手伝ってから学校に行きます。帰宅後は、家族の負担を軽減するために掃除などの家事をしています。
学校では、先生方の手伝いや校庭の掃除をしています。日々のお小遣いとして20バーツを受け取っています。私の夢は教師になることです。それは安定した仕事であり、家族を助けることができるからです。現在、祖母は野菜の販売をすることの他に農業にも従事しています。
私の好きな科目は英語とタイ語です。もしこの奨学金をいただけたら、学用品を購入し教育のために使いたいと思います。このような機会を与えていただき、ありがとうございます!

シリポンさん(12歳)ヤソートン県、2025年度中学支援の応募者
私は祖母、父、母、姉、そして私の5人家族で暮らしています。父は日雇い労働者と農家として働き、母も日雇い労働の仕事をしながら家の世話をしています。彼らの仕事が不安定なため、家族は支出に非常に注意しなければなりません。
昨年度の学年末に、私は成績評価4.00の満点を達成しました。また、今年は、いくつかの学校から築いたネットワーク中のバレーボール大会に参加し、1位を獲得しました。私の夢は、大きな高校のヤソートンピタヤコム学校に進学したいです。もし試験に合格したら、その学校の近くの寮を借りてバイクで通学するつもりです。しかし、これは交通費、家賃、電気代、水道代、食費など、私の費用を大幅に増加させます。
現在、私の家族は経済的に苦労しており、特に祖母が心臓病と高血圧を患っており、継続的な医療ケアが必要です。もし私の話をお読みになったどなたかが、私の夢の実現を支援していただければ幸いです。どうもありがとうございます。
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ノルアイニーさん(14歳)、ナラティワート県、2025年度タイ深南部の孤児支援の応募者
私が9ヶ月の時に父が紛争で亡くなり、その後母は再婚し新しい家庭を築きました。私はそれ以来、祖母と叔父と一緒に育てられました。私は覚えている限り、私は美味しい食べ物を食べたことがなく、きれいな服を持っていなかったし、玩具もありませんでした。玩具で遊びたい時には、隣の友だちに頼んで一緒に遊ばせてもらいました。どこかへ遊びに出かけることもありませんでした。私たちの生活は本当に厳しかったのです。祖母が私を育ててくれ、叔父が働いてお金を稼ぎ、私の学校に関する経費を支えてくれました。
私は叔父を手伝うために、家の掃除、皿洗い、洗濯をして、休みの日に市場で果物を売って50バーツを稼いでいました。自分でお金を稼ぐことに誇りを感じました。それはお金の価値を理解することにつながりました。私はそのお金を将来のために貯金しています。しかし、昨年12月、88歳で祖母が亡くなりました。今は私と叔父だけが家に残っています。もし叔父がいなくなったら、私はどうすれば良いのか全くわかりません。
学びは私の唯一のチャンスです
毎日私は学校へ無料の送迎バスで通っています。学校は家から約6キロメートルの距離にあります。学校に行くためのお小遣いは1日20~25バーツで、叔父が稼げる日に応じて変わります。
私が一番好きな科目はタイ語です。先生が優しく、わかりやすく教えてくれるからです。また、私はスポーツが好きで、バレーボールを楽しんでいます。学校で友だちと遊ぶこともよくあります。
私は学校で行われるさまざまな活動に参加するのが好きです。それは私を成長させ、新しいことを学ぶ機会を与えてくれるからです。
私の夢
私はタイ語の教師になりたいです。私には先生が模範となっており、その先生から多くのことを学びました。教師になれば、子どもたちに良い人間になるための必要な知識を与え、指導・教育できるからです。私は以前通っていたアイサティア小学校でタイ語を教える教師になりたいと思っています。私はすべての先生が大好きです。もし先生たちがいなかったら、今の私はありません。先生は私にとって第二の母のような存在です。
奨学金を申請する理由
私はこれまで奨学金を受けたことがありませんが、奨学金事業担当の先生がこの奨学金を知らせてくださったとき、私は自分にぴったりだと思い、すぐに申請しました。もしこの奨学金を受け取ることができたら、もっと一生懸命勉強し、必要な学用品を買い、以前欲しかった美しい絵の具や、友だちと一緒に遊ぶためのバレーボールを買いたいなと思っています。そして最も重要なことは、将来大学に進学するためにお金を貯金し、私の夢であるタイ語教師になるという目標を達成するために頑張っていきたいです。
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ウンブンさん(14歳)スリン県、2025年度障がい児支援の応募者
通常の学校に通う障がいのあるウンブンさんは生まれつき足が変形しており、自分で歩くことはできますが、日常生活を送るには他の人よりも多くの努力が必要です。しかし、彼は身体的な障がいを教育や人生の夢への障がいとは考えていません。そのため、2025年度の中学2年生に就学するための奨学金をEDF財団に申請しました。
ウンブン君の家族は、両親と姉、そしてウンブン君の4人です。家を持たず、月2,500バーツの小さな賃貸の部屋で一緒に暮らしています。54歳のお母さんは、日雇いの清掃の仕事をしていますが、収入は不安定です。53歳のお父さんは、数ヶ月間失業していましたが、最近洗車場で新しい仕事を見つけ、日給で働いています。22歳のお姉さんは、鶏肉ご飯の店で働いており、家族の主な経済的負担を担っています。
他の子どもたちのように体が強くありませんが、ウンブン君はできる範囲で家事を手伝っています。例えば、掃除、拭き掃除、洗濯、皿洗いです。これは、家族の負担を少しでも減らすためです。お母さんは毎日ウンブン君を学校まで送り迎えしてくれます。そして、ウンブン君自身も、学校の友だちや先生に迷惑をかけないように、できる限り自分で頑張っています。
成績は平均的ですが、ウンブン君は勉強が好きで、特に英語と美術が好きです。絵を描くことが好きで、時間があればいつも練習しています。なぜなら、他の子どもたちのように走り回ったり、運動したりすることができないからです。
将来の夢について尋ねると、ウンブン君は笑顔で「写真家になりたいです」と答えました。風景写真に魅了されており、この仕事なら障がいがあってもできると信じているからです。
家庭の経済状況が厳しいため、ウンブン君は進学の機会がないのではないかと心配しています。そのため、高校卒業まで、そして将来は大学に進学し、自立して家族を養うことができるように、EDF財団に継続的な奨学金を申請しました。
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