私は、チェンマイ県の ドイタオ郡で生まれ育ちました。この地域はチェンマイ市内からかなり遠く、周囲は高い山に囲まれているため、アクセスが難しい農村地域です。私の両親は農業に従事しています。私は小学校と中学校の頃から英語とコンピュータの授業が好きでした。なぜなら、私は海外に行って英語を話したり使ったりしたいと夢見ていたからです。また、コンピュータを学ぶことで新しいことを学ぶことができると思ったからです。
私のEDFの奨学生としての物語は、小学校6年生の時から始まりました。私は学校の奨学金担当の先生を通じて、EDFという団体から奨学金の情報を知りました。先生が私の適性を考慮し、奨学金申請のために私の名前を提出してくれました。結果が発表され、私は奨学金を受け取ることができたと知った時、とても嬉しかったです。担当の先生は、この奨学金の金額はかなり多くて奨学金を最大限に活用するためのアドバイスをしてくれました。奨学生としての心構えや、学びにどのように役立てるかを教えてくれたのです。この経験は私の学生生活を一変させ、より真剣に勉強に取り組むきっかけとなりました。
2017年に撮った大学5年生の写真
その後、私は手紙を書いたことを覚えています。また、成績や学校生活、学校での活動、奨学金の使い方についての報告書も作成しました。そして、毎年、チェンマイとバンコクで寄付者との交流イベントにも参加しました。
中学校3年生を卒業した後、私は現在の職場であるドイタオウィッタヤーコム高校に進学することを決めました。この学校は地域の一番有名な学校で、私は自分の好きなコンピュータの科目の入っているコースを選びました。その後、私は一生懸命勉強し、自分の成績を良い水準に保つよう努め、できる限り学校の活動にも参加しました。
その頃の私の人生の目標は、英語の学士号を取得し、将来は教師になりたいというものでした。それで、チェンマイラジャパット大学の5年間コースの教育学部英語専攻に進学することを決めました。在学中、私は大学の近くの塾で生徒たちに家庭教師をするアルバイトをしました。これは教える経験を積むためや、暇な時間を有効活用するため、さらに学費を稼ぐためでもありました。
EDFが主催する奨学金寄付者との交流活動に参加したときに、寄付者の皆さんは、私の夢を追い続けるための支援と励ましをいつもしてくれ、11年間にわたり私をサポートしてくれました。
大学を卒業した後、私はチェンマイ県の教員試験に合格しました。その時、私は非常に幸運だと感じ、ウィアンヘーン・ウィッタヤコム学校で英語を教えることを選びました。この学校は同じチェンマイ県なのですが、まるで別の県のようにチェンマイ市内と私の故郷からは非常に遠く離れた地区にある中学校です。しかし、教師という職業に対する愛情と信念から、私はそこで5年半働くことになりました。
そこでは可愛らしい生徒たちと出会い、楽しく過ごしました。生徒たちは多様な民族背景を持ち、チェンマイの多文化な環境で独自の個性を表現しています。さらに、校長先生や同僚たちも素晴らしい友人であり、保護者やウィアンヘーン地域のコミュニティも、異郷の教師として私を優しくサポートしてくれました。このような思い出は、私の初めての職場でのかけがえのない体験として、今でも心に残っています。
最近、私はチェンマイのドイタオウィッタヤーコム高校に転職しました。この学校は私が高校時代に通っていた場所です。現在、私は高校3年生に英語を教え、学校のカリキュラムを担当する教員として働いています。故郷であるこの学校に戻った理由は、ここに住む生徒たちの成長や学校の発展に貢献したいと考え、また両親や家族と近くで過ごしたいと思ったからです。
私自身が人生の目標に向かって努力してきたことはもちろんですが、寄付者の方から戴いた奨学金も、今日の成功の大きな要因です。もし奨学金がなければ、学生時代に描いていた未来の夢は、もしかしたらかすんでしまったり、実現しないまま消えてしまったかもしれません。私を支えてくださった寄付者の皆様とEDF財団に心から感謝いたします。皆さんはまるで家族のようであり、私の成功を実現するために大変大きな力を与えてくれました。
「この素晴らしい奨学金の奨学生の一人として、心から光栄に思い、非常に感謝しています。この機会は、私の経済的な負担を軽減するだけでなく、私の夢をより一層情熱と誠意を持って追い求める励みとなります。私の可能性を信じてくださることは本当に身が引き締まる思いであり、その信頼に応えるよう努力します。私の目標を達成するために力を与えてくださり、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。」
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