パニダー・サワンシー
初めまして、パニダー・サワンシーと言います。11歳です。今、ウドンタニー県にあるバンノンワンヒーカム学校の小学校5年生です。両親と私は親戚と住んでいます。家は一階建ての折板屋根で、とてもみすぼらしいです。父は日雇い労働をしており、母は専業主婦で私の介護をしてくれています。
パニダー・サワンシーと母親
私は小学校2年生の時に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患いました。その為、私の学校の送り迎えのために、母は仕事を辞めざるを得ませんでした。母はずっと学校にいて、私をトイレに連れて行くのと、階段の上り下りを手伝ってくれていました。当時、私はまだなんとか自力で歩けていたのですが、5年生になると、症状が悪化したせいで、立って歩くことができなくなって、体を動かすことが非常に困難になりました。バランスが取れないので、座る時も長く座っていられません。夜になると、筋肉がすごく痛みます。字を書いたり、食事したりすることは自分でできますが、親に物を近くに置いてもらわなければなりません。
家で勉強している
この病気の為、新型コロナで休校になった時を含め、学校は私が家で勉強するのを許してくれています。毎週、父が学校の先生から練習表を貰いに行ってくれます。私は家で復習してから、その練習表をこなします。分からないことがある時には、母や毎週来てくれる担任の先生に聞きます。
将来、私は高校と大学に進学して医師になりたいと思っています。自分と同じ病気を抱える子供が普段通りに学校に行って友達や先生に会えるように治してあげたいです。
父親と母親
うちが貧しいので、どうしてもこの奨学金をいただきたいのです。父の収入だけでは、私の勉強費用には足りませんし、母も私の介護で働きに出られません。
奨学金がいただけたら、勉強費用として母に預かってもらいます。それで教科書や筆記用具を買います。
最後に、奨学金を下さった優しい方にお礼を申し上げます。私は障害があって歩けないのですが、できるだけ進学したいと思っています。失望せずに、いつか病気が治って普通の生活に戻れるという希望を持ち続けて頑張っていきます。
スパナット・サンディ
スパナット・サンディと言います。ニックネームはゴーです。ノンブアランプー県にあるファイヒンプラチャーラック学校の中学一年生です。僕は祖父母と暮らしています。祖父母は仕事が農業と日雇い労働です。僕が1歳の時に両親が離婚したので、母は僕を祖父母に預けてバンコクに働きに出ました。僕がまだ幼い頃は、家に独り残せないからと、祖父母は僕を田んぼやじゃがいも畑で仕事をしながら面倒を見てくれていました。
母が再婚して弟が二人いるのですが、母はその二人も祖父母に預けた後、全く仕送りをしなくなりました。そのため、僕と二人の弟が学校に通えるように、祖父母は大変な仕事をこなさなければなりません。
先生が黒板に書いたことを確認するため、前列に座っている
僕は生まれつき左目が不自由です。授業を受ける時、右目でしか先生が黒板に書いたことを確認できないので、前列に座っています。右目だけで長く黒板を見つめていると、目がすごくチカチカします。僕は記憶力があまり良くない上に、目にも問題があるので、授業中に一生懸命集中して先生の話を聞かなければなりません。好きな授業は美術で絵を描くことが大好きです。将来、僕は、教室で理論を学ぶより実践で身に着けることに重きを置いているという職業訓練校で自動車整備士の勉強がしたいです。
祖父の仕事を手伝う
祖父がサトウキビを植えるために土を掘るのですが、週末や放課後になると、僕はそれを手伝います。祖母は持病があって重労働ができないし、下の弟たちの面倒を見なければならないからです。
僕がこの奨学金に応募したのは、勉強道具と職業訓練校の費用として使いたいからです。僕と弟二人の分を含め、祖父母が毎月の家計を支えてくれているのですが、奨学金がなければ、僕の進学費用が足りないからです。
心優しい方がこの手紙を読んだ後、奨学金を支援していただけると非常に助かります。確かに僕は目が不自由で勉強があまりできないのですが、将来、就職して自立できるように、一生懸命に勉強することを約束します。
2022年度の奨学金の募集は、2022年6月30日まで行っております。皆様の暖かいご支援を、子供達と共に、お待ちしております。
ご興味がある人は「障がい児支援のご案内」の下記のリンクをご覧ください。
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