中学を卒業した奨学生からのお礼の手紙
中学を卒業した奨学生からのお礼の手紙  昨年(2017年度)は皆様方のご支援‧ご協力により8,781人分の恵まれない子供たちに奨学金の提供を受けることが出来ました。皆様からの暖かいご支援のお陰で2018年に多くの奨学生が中学を卒業しました。その奨学生たちから、感謝の気持ちを支援者の皆様にお伝えしたいとお礼の手紙を届きましたので、今回、その一部をご紹介したいと思います。
氏名:チャイチャナ・チュンラウ 愛称:アート
年齢:15才
学校:バーンノンプラドゥック校(ナコーンパノム県)

 
氏名:チャイチャナ・チュンラウ 愛称:アート
年齢:15才
学校:バーンノンプラドゥック校(ナコーンパノム県)

担当の先生(右側)と母親(左側)と一緒に取った写真
 
 僕の名前はチャイチャナ・チュンラウ、ニックネームをアートと申します。現在ずっと学んできた中学課程前期を修了するところです。(2018年4月の現在、チャイチャナさんは中学を卒業しました。)
 僕は援助して下さる方からの奨学金を受け、そのお金を、最大限気をつけて勉強に関することに大事に使ってきました。たとえ金額が十分でなくとも大いに助かるものでした。
 今は祖母と暮らしています。僕の家族はたった3人です。祖母と父と僕です。両親は離婚しました。父と母が別れたのは、僕が幼稚園の時です。それ以来、祖母がずっと僕の面倒を見てくれてきました。父が生活費を稼ぐため仕事を求めて、他県の建設現場に行かねばならないからです。父の仕事は、かなりきついものだと思います。それというのも父は学校に少ししか通えておらず小学校6年を卒業しただけです。
 父がいつも僕に語って聞かせるのは、自分たちは少ししか学校に行っていないから家から遠く離れてきつくて疲れる仕事にしか就けない、でも父さんは辛抱して一所懸命働いてお前がよりよい人生を迎えられるように、上の教育を受けられるように、頑張ってお金を送って来ているんだよ、と。
 父は今自分が就いているようなきつい仕事を僕にさせたくないというのです。僕は父を気の毒に思います。でもどうすればいいのか分かりません。勉強や自分自身のするべきことにベストを尽くすこと以外には。
 父の顔は1年に1~2回しか見られません。時々とても会いたくなります。でも祖母はいつも言います。お父さんが稼ぎのために仕事に行くのは、まさにあんたのためなんだよと。僕はそれでちょっと気持ちを落ち着かせます。
 時には父は少ししか賃金を貰えず、うちはよくお金の問題に遭遇します。景気の変動により賃金は均一とはいかないので、そんな時は祖母の年金にさえ頼ることになってしまいます。
 前述のような困窮の状況は、僕にいろんなことを深く考えさせます。父も哀れ祖母も哀れ、そして自分自身も可哀そうに思えてきます。
  我々は生れる時代を自ら選べませんが、自分たちの生活をよいものに選び取っていくことはできると思います。土曜日曜の休み、または学校休暇中で時間がある時に、僕は集落で雇われ仕事をします。僕にできることで雇ってくれる人がいたら、稲刈りやタピオカ芋の掘り起し草刈りその他色々をこなして賃金を貰います。僕はそのお金を貯めておいて学費に使います。また一部は生活費として祖母に渡すのですが、金額は多くはなくても僕も家計を支えているんだと毎回誇らしく思うのです。
  僕には、将来は安定した職業であることから公務員として教職に就きたいという夢がありました。福利厚生がしっかりしているので自分だけでなく家族の生活も楽になると思ってきました。
 ところが父が再婚したために、新しい家族も増え、父の責任が更に重くなりました。もし僕が希望の職業を目指して通常の進学コースで大学まで進むとすれば、とても多くの費用が掛かります。とはいえ僕はせめて職業高校卒業資格を得るまでは学び続けたいのです。ですが父が大変すぎると言うなら、僕はまず学校を出て働いて学費を何とかし、それから再度学業に戻る道も考えています。なぜなら “一所懸命勉強するというのは、すなわち人生を知るための勉強に違いない” と僕はいつも思っているのです。
 今日も僕の家族は平安で幸せでありますように。もしも奨学金支援を受けられないとしても、僕は持てる限り最大の力を尽くして頑張ります。そして充足した人生を目指したいと思います。

氏名:オンプラニー・センスリー 愛称:ナーン
年齢:15才
学校:バーンノンプラドゥック校(ナコーンパノム県)

 

ナーンちゃんの家

 私は現在中学校で学んでいる奨学生オンプラニー・センスリー、ニックネームはナーンと申します。2015年~2017年にわたりドナーの方からの奨学金を受けてきました。(2018年4月の現在、オンプラニーさんは中学を卒業しました。)
 このような奨学金を受ける機会に恵まれたことを、私は大変うれしくありがたく感じております。私は頂いた教育資金を大事に倹約に努め、家族の負担を和らげるように気をつけて使っています。
 家族は私にとって最も大事なものですが、現在は3人、母と兄と私です。前は父も一緒でした。でも父は何か問題を抱えて母と何度も喧嘩になりました。原因はお金のことだと思われます。かなり貧しいので。
 父の仕事は、農業と建設の雇われ仕事でした。夫婦喧嘩が頻繁になっていき、とうとう別れることになって、父は我が家を出て新しい家庭を持つこととなってしまいました。
 母に関しては、父が出て行ったあと元気をなくし病弱な状態が続いています。それでも母は、建設作業員として他県に赴かねばなりませんでした。当時兄はまだ中学3年在学中であり、また家は建て始めたところで仕上がっておらず、生活費、養育費を何とかしなくてはならなかったのです。
 この重荷を母は一人で抱えることとなり、働きに働きました。私は母を助けるためどのようにしたらいいのか分かりませんでした。
 そこで学校の合間に稲刈りの手伝いやタピオカ芋の運搬などに雇われて少しながら賃金を得、ちょっとだけでも母の重荷を助けようとしました。
 兄の学業は中学3年生までで、母にはもう兄に学校を続けさせる費用を工面することができませんでした。それで兄は、母と共に遠くの県で建設作業員として働きに行きました。兄も働きに行って一年ほど経った時、母が脚に痺れが出て歩行困難を来たし仕事を続けられなくなって静養するため家に帰って来ました。兄はひとり遠い仕事場に残されたわけです。
 私が学校に行っている間、母は家事を何とか細々とこなしていますし、隣にいる伯母伯父に頼って面倒を見て貰っています。
 将来に向けての望みは、会計・商業をしっかり勉強したいということです。収入のちゃんとした安定した職業に就けると考えるからです。そうして家もちゃんと完成させて母の容態もよくしたいのです。
 時には私も落ち込んだ気分に襲われることがあります。他の人達みたいにどうして十分な収入、温かい楽な家庭に恵まれていないのかと。
 それでも友達や先生そして親戚の皆から勇気をもらいます。そして私にとって一番大事なのはやはり母です。もう重労働はできなくなったとはいえ、今まで子どものためにいろんなことを耐え忍んで一所懸命やってくれたのです。
 私たちのようなものにとっての将来は、確実なものはなく進路の選択肢も多くはありません。私はそれでも、この教育を受けるチャンスは、私たち自身の未来に向けて大事なものであると信じています。
 今日に至るまで私はご支援の奨学金を受けることによって、皆様からやる気を頂いて来たと感じています。ですから私は自分にできる限りの努力をして最大の結果を出せるように一所懸命やりぬくと、皆さまそして自分自身に約束します。


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