シェーキティさん(ニックネーム:ナーさん)は、日本に住んでいる彼の奨学金支援者の居場所がわからないという通知をEDFから受けたとき、ちょっとがっかりされた様子でした。その方は10年前寄付をしてくださった時の住所からすでに他に移られていたのです。その後、EDFはナーさんに現在の生活の様子と、EDFに連絡をしてこられた事情についてお話をお聞きしました。
どうしてEDFに連絡をくださったのですか?
最初、私はどうやってEDFに連絡をとったらよいのかわかりませんでした。そこで色々なNGOの連絡先を載せているウェブサイトにあたり、ここの連絡先を見つけたのです。そして、私が中学生のときに奨学金を支援してくださった方に会いたいという内容のメッセージを送信しました。するとEDFのスタッフの方が私のところに連絡してきてくれたのです。そして、奨学金支援者の方に連絡を取ってくださるということになったのですが、あいにく連絡がつきませんでした。私は支援をしてくださった方に感謝の言葉を伝えたいです。私は現在、自分が誇りに思うことのできる仕事につくことができ、家族全員を養っています。もしあの時、あの方がいらっしゃらなかったら、今の私は存在しなかったでしょう。今でも私はあの方が送ってくださった手紙やお祝いのカードを大切にとってあります。
今はどんなお仕事をされているのでしょうか?
私はヤソートン県ラーンノックター郡役場で、行政管理局の職員をしております。この町は私の生まれ故郷です。職場での仕事は、郡勢調査や国民証の手続、また出生届や死亡届の受付です。ここでかれこれ4年間働いているのですが、今年、私はブリラム県の学区事務局教育支援部に移ります。ブリラム県は隣の県です。
学区事務局教育支援部に移られるということは、私たちEDFと一緒に仕事をすることになりますね。と言うのも、私たちのイサーン地方での活動は、奨学金プロジェクトであれ、またその他のものであれ、学区事務局教育支援部と連携して行っていますからね。ところで、ナーさんの子ども時代の話を少しお聞かせいただけませんか?
私も将来的にEDFと一緒に仕事ができたらいいなと思っております。ところで、私の子ども時代ですが、私の家は両親兄弟あわせ8人家族でした。この大家族が一緒に暮すのは大変なことです。両親は農作業の手伝いをはじめとして、お金になることなら何でもしました。子どもたちに、自分たちと同じような苦労をさせないようにと考えていました。ですから、自分たちは苦労に甘んじ、それで稼いだお金で子どもたち全員に学問を受けさせようとしたのです。結果、この私が家の中で一番の高学歴となったのですが。私は中学校を卒業した後、専門学校の畜産学科に進みました。ヤソートン県農業技術専門学校というところです。学費は一切払う必要がありませんでした。その後、同じ学校の高等専門レベルへと進学し会計の勉強をしました。その時はタイ政府の奨学金貸付制度を利用しました。そしてそこを終え、今の郡役場に応募し合格したのです。
どうしてナーさんは他の人たちのように、県庁所在地やバンコクといった都市部で仕事をしようと思わなかったのでしょうか?
私はやはり両親のそばにいたいと思っています。両親の世話をしたいんです。それと、私自身の生まれ故郷で仕事をしたいというのもありますね。バンコクに出て働いたら、故郷の発展に尽くす機会がなかなかないでしょうしね。都市部は何かとお金がかかります。その点、ここの方が気楽です。「足るを知る」といった暮らしができます。夕方、仕事を終えたあと、村の子どもたちの宿題を見てあげたり、勉強を教えてあげたりもできます。私は子どもたちが自分自身の将来のために、学ぶことの大切さを理解してくれるようになって欲しいなと思います。こういったことが私にできることですし、今こそ私自身が過去に頂いたもののお返しをするときだと考えているのです。
(2008年9月、ダルニーニュース16号より)
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