20年前、EDFはウドンターニー県サーンコム郡内の生徒41名に奨学金を授与し、同事業がスタートしました。この41名はそれぞれに成長し、今日、家庭を持ち、安定した生活を送っています。ツェンチャイ・ペンサワットも最初の奨学金を受けた生徒の一人で、自分の知識・能力を生まれ故郷の発展に役立てようと、かつて彼女が学んだ母校バーンナーマング校で先生になる選択をしました。
・・・奨学金をもらったときの気持ち・・・
20年前の状況についてお聞かせいただけますか?
20年前の当時、私は中学3年を終えたときでしたが、自分自身の運命(将来)について何をしなければならないのかはまだはっきりしていませんでした。当時は、私の村では子どもを進学させたいと考える親はあまりおらず、義務教育を終えればそれで十分と考える親がほとんどでした。その辺りの村民は貧困層に属しており、子どもを進学させるお金が無いというのが理由だったのかもしれません。私の家庭も貧しかったのですが、高等教育を受けたい、より良い生活を送りたいという願望が私にはありました。
当時、奨学金をもらえそうだとわかったとき、先生はどのように感じましたか?
泣きそうになりました。今でこそ、1500バーツは少なく感じられるかもしれませんが、当時は75g相当の金にも匹敵するものでした。もしEDFからの奨学金がなかったら、今日の私の人生がどのようなものになっていたか想像できません。
奨学金をもらってから先生の人生はどのように変化しましたか?
勉強ができるという希望さえなかったのですから人生は良くなりました。奨学金を得たということは、よりレベルの高い職業を得る、良い家庭を持つといった方向に持ってゆくことができたというのと同じことでした。秋尾晃正氏が家を訪問してくださったとき、家族はいつも大喜びしていました。というのも、彼はもう一人の父であり、私をより良い生活へと導いてくれたからです。彼は私たちに新たな人生を与えてくれました。もし彼にまた会う機会があれば、私は彼に感謝して、以下のことを言いたいです。
「あなたの子どもは努力して、あなたの望まれたように成功しました。あなたの子は知識を身につけ、良い教育を受けることによって先生になることができました。私はあなたからの援助で得ることのできた知識を、次の世代の子どもたちに伝えるつもりです。私自身が生まれたこの故郷の村で。」
・・・地元で先生になった理由・・・
どうして故郷に戻り、学校で教師として教える選択をされたのですか?
自分の得た知識で生まれ故郷の発展に貢献したかったことと同時に、この村の人たちにより多くの教育の機会を得て欲しかったこと。さらに、ここに住めば私の家族の(副業ではなく)生業である農業をすることができるからです。私の気持ちとしては、皆さんに自分の生まれ故郷に戻って職業に就いてほしいのです。そうすれば、少なくとも近くで家族、親戚兄弟の面倒をみることができます。
もし20年前に奨学金を受けなかったら、先生の人生はどのようなものになっていたと思いますか?
夢は中学3年を終えた(卒業した)ときに終わっていたでしょう。そして、自分自身と故郷を発展させる機会を持つことも無かったにちがいありません。
教育の重要性についてどのようにお考えですか?
教育は我々の生活をより良くすることができます。他の人がより多くの教育を受けて彼らの暮らし向きがより良くなるのを見たいです。幸運にも、私自身は自分の持っている知識を伝え、自分の村を発展させる機会を得ることができました。
生徒、特にEDFの奨学金を得ている生徒に対して、何かメッセージはありますか?
子どもたちや親みんなに教育の価値に気づき、勉強する機会が得られたことを誇りに思ってほしいです。その一方で、このような援助を受けることのできない子どもたちがまだ多くいます。このチャンスを手にする機会があれば、今日の私のように、最大限に活用すべきです。私は自身の夢を追って走り続けて、今日のように夢を実現しました。
(2007年9月、ダルニーニュース12号より)
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